パンク【PUNKROCK】ロックアーティスト情報

スポンサードリンク

洋楽パンクとロックの名鑑。海外バンド(アーティスト)をメインに、メンバーリストや活動情報などを紹介。

Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



パンク【PUNKROCK】ロックアーティストposted

スポンサー広告パンク【PUNKROCK】ロックアーティストTOP↑

ザ・キュアー (The Cure)

●ザ・キュアー (The Cure)とは

ザ・キュアー (The Cure) は、1978年に結成された英国出身のロックバンド。

初期はパンクを色濃く残すニューウェーブバンドであったが、メンバーの入れ替わりとともに音楽性も変遷し、現在はゴシックやオルタナティブに分類される。その活動歴は四半世紀を越えており、現在の音楽シーンの中でもその影響を受けたと公言するバンドは多い。


●バンドの歴史
1978年、前身バンドとなるイージー・キュアーを母体として、ロバート・スミス、マイケル・デンプシー、ローレンス・トルハーストの三人で結成された。 翌1979年にフィクション・レコードよりデビュー。


第1期(1978〜1979)

第2期(1980〜1982)
この時期のキュアーは、無駄な音を排除した、研ぎ澄まされたサウンドを追求していた。 特にスリー・ピースとなった"フェイス"は洗練された音使いから初期の最高傑作であるという声も多い。 しかしサウンドと同様にバンド内の緊張感も次第に強まってゆき、それは"ポルノグラフィ"で爆発する。 ツアー中にロバートとサイモンは大喧嘩をして、サイモンはバンドを去り、ロバートは活動の休止を決意した。

第3期(1983〜1984)
この時期、ロバートはスージー&ザ・バンシーズとキュアーの活動を掛け持ちしており、度々解散をちらつかせていたが、結局キュアーをとった。 ファンタジー三部作と呼ばれる三枚のシングルはスマッシュ・ヒットを記録し、日本では企画盤が作られたりもした。 昔からのファンの中には、変わり果てたポップなキュアーの姿に嘆息したと人もいたという。 また、84年には唯一となる来日公演が行われている。

第4期(1985〜1989)
フィルの代わりにサイモンが復帰、またアンディの代わりとしてボリスが参加し、黄金期が訪れる。 日本での人気のピークもこの時期。アメリカ大陸での人気も爆発し、"ディスインテグレーション"は全世界で大ヒットした。 しかし長期に渡るツアーはロバートを疲弊させ、ツアー最終日・ロンドンのロイヤルアルバートホールで解散を匂わせる発言をして、ファンにキュアーの終焉を強く刻み付けた。

第5期(1990〜1993)
誰もがキュアーは終わったと思っていたが、ロバートは何事もなかったようにキュアーの活動を再開させる。 ギター・ローディ出身のペリーを新たに加え、初心に帰るべくライブハウスツアーを行った。 これがバンドに好影響をもたらしたか、アルバム"ウィッシュ"は全米2位を記録する大ヒットになり、キュアーは名実共にトップ・バンドとなる。

第6期(1994〜2000)
ポールとボリスが脱退し、黄金期は終焉を迎える。ロジャーを復帰させ、ジェイソンをオーディションを経て加入させるが、かつてのバンドらしさはなく、ロバートwith his friends的な印象は否めなくなる。 この面子での初アルバム"wms"が商業的に失敗すると、ロバートは徐々に意欲を失ってゆき、次作"ブラッドフラワーズ"リリース時には公式に解散を宣言。レコード会社もラストアルバムとして売り出すが、売り上げ好調に気を良くしたロバートは解散宣言を無かったことにした。また、度々来日を示唆する発言を行うが、実現することは無く、日本のファンを落胆させた。

第7期(2001〜2004)



パンク【PUNKROCK】ロックアーティストposted

パンク【PUNKROCK】ロックアーティストTOP↑

マイ・ケミカル・ロマンス(My Chemical Romance)

マイ・ケミカル・ロマンス(My Chemical Romance)とは

マイ・ケミカル・ロマンス (My Chemical Romance) は、アメリカ合衆国はニュージャージー州出身のロックバンド。バンド名はアーヴィン・ウェルシュ(Irvine Welchs)のカルト小説から由来する。

彼らはブラック・フラッグ、アイアン・メイデンやThe Misfitsなどから影響を受け、パンク、ハードコアを基礎としたエモーショナルでメロディックで破壊的なサウンドと、ヴァンパイアや死を用いた暗喩の多いダークで荘厳な詞の世界で、多くのファンを熱狂させている。

初期メンバーの5人は全員がニュージャージー出身で、ハイスクール在学中から親しくしていた。ハイスクールを卒業後、5人は一旦それぞれ自分達の将来を探すために散っていった。しかし、連絡を取り合うことだけは欠かさなかった。

ジェラルドは母親の実家の地下室に住みながら、NYでアニメーションの仕事をしていた。しかし次第にそんな毎日、自分の生き方に疑問を持ち始める。そして、同じ疑問を抱えていたマットと連絡を取り合い、2人は一緒に音楽をする決意をする。2人だけではあったが、ここに一番初期の段階のMy Chemical Romanceが誕生する。

ジェラルドとマットの2人で、最初の曲となる「Skylines And Turnstiles」を作る。この曲が上手く出来上がった為2人は自分達が知る中で一番のギタリストであるレイに連絡をする。すると、レイも興味を持ちギタリストとして加入する事になる。3人だけの状態で簡易デモテープを完成させる。しかし、バンドは未だベーシストが見つからないでいた。そんなバンドの状況をマイキーが知り、当時は弾けなかったというベースを寝る時間も惜しんで徹夜で練習した。その事を知ったメンバーの3人が感銘を受けたことにより、マイキーがベーシストとしてバンドに加入して4人組みとなる。そしてそのデモがEyeball Recordsの目に留まり契約に至る。2002年にはデビューアルバムのレコーディング中に物足りなさを感じたバンドは、フランクを新たなギタリストとして迎える。その後たった2週間でレコーディングを終え、最初の曲である「Skylines And Turnstiles」をリリースする。そして2002年の殆どをアメリカやヨーロッパでのツアーに費やし、この時より確かなファンベースを獲得する。2003年7月にはThursdayのGeoff Rickly(Vo)のプロデュースのもと、ファーストアルバムの「I Brought You My Bullets,You Brought Me Your Love」がインディーズより発売される。彼との親交はジェラルドがThursdayのTシャツを描いた事から続く縁である。

そしてバンドはメジャーレーベルのReprise/Warner Bros.と契約し、セカンドアルバムである「Three cheers For Sweet Revenge」を制作する。本作でバンドはメジャーデビューを果たし、多くの雑誌やメディアに取り上げられる事になる。日本でも日本デビュー前にも関わらずフジロックとサマーソニックの間で争奪戦が繰り広げられるなど話題となる。結局バンドはサマーソニック 04にて初来日し、多くの観客を熱狂させた。その来日後、ドラマーのマットが脱退するという事件が起こる。マットとバンドの考え方の違いから折り合いが悪くなった事が原因である。バンドはその後、新たなドラマーとしてボブを迎える。しかし、ジェラルドのアルコール依存症に伴ううつ病の悪化など、バンドとして苦しい状況を迎える。しかし、ジェラルドの禁酒宣言で問題を解決した彼らは、2005年2月に再来日しワンマンツアーを敢行。2006年8月にはサマーソニック 06に出演するなど精力的に活動している。また同年12月にはサードアルバム「The Black Parade」を発売し、2007年1月から3度目の来日公演を予定している。



パンク【PUNKROCK】ロックアーティストposted

Mパンク【PUNKROCK】ロックアーティストTOP↑

ペニーワイズ (PENNYWISE)

ペニーワイズ (PENNYWISE) とは

ペニーワイズ (PENNYWISE) はアメリカ西海岸出身でエピタフレコードに所属するバンド。

ブラック・フラッグやサークル・ジャークス、マイナー・スレット、バッド・レリジョンなどに影響を受けたメンバーにより結成。 社会への批判などメッセージ性の強い歌詞と、上記バンドからの影響の強いオールドスクール・ハードコア、またサーフ・パンクによりエピタフにおいても人気の高いバンドとなっている。

メンバーはJim Lindberg (ボーカル)、Fletcher Dragge (ギター)、Byron McMackin (ドラム) 、Jason Matthew Thirsk (ベース)であったが、1996年にベースのJason Matthew Thirskが脱退しまもなく酒に酔い自殺してしまい、代わりにRandy Bradburyがベースとして入る。彼らはJason Matthew Thirskの死に対し深く悲しみ、彼が亡くなった翌年1997年にリリースした「Full Circle」の最後に収録されている『Bro Hymn Tribute』という曲は、Jason Matthew Thirskにあてられたものである。また、彼らはライブの最後に決まって『Bro Hymn Tribute』を演奏する。これは彼らがJason Matthew Thirskへの想いの為でもある。

ちなみにJason Matthew Thirskの実弟のJustin Thirskは「98mute」というバンドでドラムを担当し、ペニーワイズの前座などでライブを行っていた。プロデューサーはFletcher Draggeである。
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)



パンク【PUNKROCK】ロックアーティストposted

Pパンク【PUNKROCK】ロックアーティストTOP↑